• レジリエンス(折れない心・柔軟性)と自己効力感を高め、変化が激しい時代もしなやかに生き抜く
    震災から1年後 大船渡町(2012.4月)

    これは、先月担当させていただいた
    「3.11集会」で伝えられなかった内容です。
    今思えば、この出来事があったから
    「災害時に起こりやすい人の行動」を伝えているのに…。

    反省と振り返りを兼ねて…
    記憶が少し曖昧なところもありますが、
    思い出しながら、震災当時のことをまとめてみました。
     
      *  *  *  

    【ご注意】
    震災や津波を思い出すと しんどくなる方はご覧にならない方が良いかもしれません。
      

    ◆小学校(指定避難場所)から高台に避難するときの様子

    低学年の子ども達は、まさに「災害時(有事)の人の気持ち、行動」そのまものでした。
     


    ■低学年の子ども達の中には、驚いて泣いていたり、流される住宅をぼーっと見たり行動がストップしている子もいました

    ■高学年の子が「後ろを見ない方がいい」と低学年の子に声がけをしながら避難
    (この声がけは先生方の指示ではなく、高学年の子どもさんが考えて発した言葉だったように感じました)

    ■「せんせいー!ランドセルと上靴入れ、校庭に置いてきちゃったー」と、泣きそうになっている子もいましたが、先生方が「カバンはあとで どうにでもなるからー!早く逃げてー!」と、大声で避難を促してくださっていました。それくらい緊迫した状況でした。

    ■時間短縮するため フェンスをよじ登っての避難。ネットフェンスを登れない低学年の子ども達は、先生方が抱き上げてくださいました。(震災後、ネットフェンスに開閉扉がつけられました)

    ■坂道のてっぺん辺りで 振り向いてみたら、さっきまでいた校庭が黒い水のプールのようになっていました。一緒に行動したお母さんの車も浮かんでいました。
    「先生に引き留められなかったら、私、絶対 子どもを乗せて(浸水した道路を通って)帰ってたよー」と震えていました。

     * * *

    国道45号まで津波がくるとは
    思っていなかったので、
    もちろん私も 子どもを連れて帰るつもりでした。

    私が校庭についてほぼ同時位に、
    校庭に整列していた子ども達が一斉に走り出しました。
    その後を追っていったおかげで、私も助けていただいたという感じです。

    もしもあと少し、
    到着するのが早くて子どもを連れて帰っていたら…
    子どもも私も、今こうしていることはできなかったと思います。

    近道をして裏校門から迎えに行ったから、
    あのタイミングで助かりましたが…

    逆に あと30秒、
    校庭に到着するのが遅かったら…
    また、いつも通り正門から迎えに行ってても
    私は今、こうしていることが出来なかったと思います。

    私からすれば、
    先生方は、子ども達、校庭にいた保護者、
    地域の方、そして私の命の恩人だと言っても過言ではないのです。

    (その場にいた保護者はあまり多くなかったと記憶しています。迎えに来た保護者は、もう少し早くかえりましたし、日中、仕事中で迎えに来られなかった保護者も多かったと思います)

    ◆高台に避難したあとのこと

    ■余震のたびに、泣いて怖がる子ども達
    ■「ぼく(わたし)のおうち、流されちゃったー」と泣きじゃくる低学年の子ども達
    ■学校や町が津波に襲来されている様子を唇を噛んでじっと見つめていた中・高学年の子ども達
    ■子ども達から見えないところで肩を震わせて泣いていた女性の先生方

    (津波が押し寄せてくる音を聞きながら、子ども達の命を守りきらなければならない先生方の精神的負担は相当なものだったと思います。停電と携帯基地局が被災したため、電話も携帯電話も不通。

    おそらく、子ども達を保護者に引き渡すまで、ご家族の安否もわからないままだったと思います。
    津波災害のことを聞きながら育ってきた沿岸地域の大人も驚いたくらいですから、子ども達や内陸出身で津波災害のことをあまりご存知なかった先生の恐怖はいかばかりだったかと思います。)

    小学校の校庭も避難場所に指定されていました。
    先生方が臨機応変に高台に避難させてくださったからですが
    もしも、
    学校周辺に高台がなかったら…
    避難開始があと少し遅かったら…
    避難路が坂道でなかったら…津波に追いつかれていたと思います。
    そう思うと、宮城県の大川小学校さんの出来事が人ごとに思えないのです。

    ◆避難所(体育館での様子)

    ■寒さ、停電、食べるものがない体育館で保護者のお迎えを待つ子ども達
    ■空腹の身体を何度も揺さぶられ、具合がわるくなった子ども
    (今思えば、脱水症状だったのかもしれません)

    ■被害状況が記入されたホワイトボードを不安そうに見つめていた高学年の子ども達
    (この時に、新聞紙の活用方法を知っていたら、一緒に防災グッズを作ったりしながら気を紛らわせることもできたのに…と後悔ばかりです)

    ■「先生、お腹すいたー」と、正直に伝える小学生。子ども達も大変な思いをしたと思いますし、お腹をすかした子ども達に何もできなかった先生方も辛かっただろうな…と思います。

    (自分も、いつもはカバンに飴やチョコレートなどを入れていたのに、その日に限って、なんの食べ物もいれていなかった。このときの体育館で見た子ども達の様子も乾燥フルーツComeComeで起業したきっかけのひとつです)

    ■地震で体育館の鉄製の扉が閉まらなくなり、冷たい隙間風が入ってきていたと記憶しています。その寒い出入り口で過ごしてくださったのが、女性の先生方でした。冷たい風を防ぐ盾のようになってくれているように感じました。

    その近くには、数枚の毛布が置かれてあったのですが、先生方は使われていませんでした。おそらく、子ども達や地域の人達に優先して使ってもらおうと思っていたのだと思います。


    今なら、新聞紙を棒状にして、扉の隙間風を防ぐ対策もできたと思います。
    ですが、平時に簡単に思いつくことが、発災直後や有事にはその発想が浮かばないのです。自分は冷静に行動していたつもりでしたが、おそらく「思考がストップ」していたのだと思います。

    体育館の隅に、ダンボールと新聞紙が置かれてあったのに…。
    当時は、子ども達にダンボールで床マットと新聞紙を掛け布団代わりにすることしかできませんでした。
    あのときに、新聞紙で防寒できる方法を知っていたら…と、今でも悔やまれます。
    これが、身近なもの(新聞紙・ダンボール)で防災グッズ作り防寒アイテムを紹介する活動につながっています。
     

    ◆学校が再開してから(4月~7月くらいまで)

    ■自転車で通勤されていた先生
    (震災前から自転車通勤していたのか、津波で車が浸水したためなのかわかりませんが…。子ども達と一緒に避難した先生は、もちろん車を移動させることもできませんので、浸水被害にあった先生方の車もあったのではないかと思います。)

    ■浸水した国道沿いの通学路には、まだたくさん瓦礫が残っていました。ガラス・食器の破片や釘なども…。
    そのようなことからか、先生方は、授業が終わったあと下校の引率もしてくださっていました。



    2学期から学校独自で下校の引率・見守りの募集がありました。
    先生方の代わりに、子ども達と一緒に帰ったり下校を見守る係です。

    震災当日のこと、
    子ども達の日常を一日でも早く
    取り戻してくださろうとしてくださったこと、
    夏休み前まで、子ども達の下校引率、
    何よりも助けていただいたことに対して
    少しでも何かできればと思い、仕事のない平日は下校ボランティアをすることにしました。

    子ども達と一緒に帰るのが楽しくなり、結局、自分の子どもが卒業したあとも続け、6年以上させていただきました。

    自分の子どもが卒業して保護者の立場ではなくなったこと、スクールカウンセラー時代をご存知の先生との再会などのご縁もあり、それがきっかけで学校評議員をさせていただくことになりました。

    ■校舎の1階は浸水したため、片付けと消毒等が完了するで1年間は使用できなかったと記憶しています。

         

    ◆子ども達と先生方の姿が今の防災活動に…

    このような体験を
    子ども達や保護者、地域の方、
    転勤して入れ替わる先生方、
    他の地域の方にも、もぅ二度としていただきたくないです。


    他のページでも書いたことですが…
    子ども達や地域の方の命と安全を
    守ってくださる教職員の皆さんも、
    「保護者の立場」である方も少なくありません。

    それでも災害時は、
    目の前の児童生徒の命を一番に行動してくれます。
    また、同じように有事や災害時、
    緊急連絡網で学校から連絡がきても
    すぐに駆けつけられない保護者の方も少なくないと思います。

    おそらく、
    「すぐに迎えに行ってあげたいけど
    行けないジレンマ」と「不安な気持ちでいっぱい」だと思います。
    震災のときも そのような親御さんがたくさんいました。

    ですが、「学校にいるから大丈夫」と
    思うことで、目の前のすべき仕事に集中できたと言っていました。


    ご自分の家族の安全確認よりも、
    目の前の子ども達の安全を第一に
    対応してくださった先生方の心身の負担が
    少しでも軽減できるよう、
    保護者や地域の方と一緒に
    考えていくことも必要ではないかと思います。

    また、同じように、
    現場をすぐに離れられない
    保護者の方の職場でも、
    その施設を利用する
    家族や地域の人達と一緒に
    防災対策に取り組んでくれたら…。


    学校、家庭、地域みんなで
    負担を分け合い、
    共に助け合える(共助)、
    小さな減災ネットワークが地域全体に
    広がっていったら、きっと、
    その地域の減災力も向上していくと思います。

    子ども達の防災・安全対策を
    一緒に考える機会を通じて、
    学校と家庭の共通理解が深まり、
    さらに、学校、家庭、地域のつながりと
    絆も強くなってほしいと願っています。
    それがまた、子ども達にためになり
    レジリエンスな社会につながると思っています。


    上記のような体験が、今の防災活動に至っております。
    この情報が津波対策、子ども達の安心、
    学校、地域の防災対策に少しでもお役に立てれば幸いです。

     *  *  *

    津波で、多くの家や電柱が流されたため
    震災から1年経っても、街から灯りが消えておりました。

    震災から1年後 大船渡町(2012.4月)


    少しずつ電柱が建設され、おかげさまで今は、
    以下のような新しい街になっております。

    県内外からご支援、応援してくださった方々に、心から感謝申し上げます。
    ありがとうございました。
     

    震災から7年後 大船渡町(2018年)